鉛筆の持ち方は中学受験や学力に影響する?綺麗な字の影響力

先日の行ってみた幼児教室で「小さい頃からの握力は将来的に鉛筆を握る力に影響するんですよ~」という一言が気になってしょうがなくなったイナダです。

鉛筆握るのって勉強の時大事だよなぁっていくつか思い当たる節があります。

ちゃんと鉛筆持ってる人は綺麗な字で、ケアレスミスも少なくって勉強ができるイメージ?

でも飛びぬけて頭がいい人は逆に字が汚いイメージもあったり。

一体どういうことなんだ?

ってことで、将来的に絶対に握る鉛筆の持ち方について考えてみました。

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鉛筆の持ち方は中学受験に影響する?

残念ながら私自身は悪筆な方です。

というのも、小学生の時に気が付いたら鉛筆の持ち方がガッチャガチャになってまして・・・。

実は旦那方が珍しくちゃんと持ってるんですよねー。学力とは反比例しております。

本来は多分こういうのが正解だと思うんです。たぶん?たぶん・・・。

しかし受験の時に気が付いたらこうなっていました。

今となってはもっぱら文字を書くのに使うのはキーボードですから、あんまり苦労はしないんですが・・・それでもやっぱり書類とか書くときには字が汚くって「あー・・・」って気持ちにはなります。

これがどういう風に影響したのか、記憶のある限りですがとにかく手が疲れる。

じゃあ疲れないように普通に持てばいいじゃん?って思ってたんですけど、普通に持つと手が震える(この理由は未だに分からないんですけれども)。

震えるからしょうがない、シャーペンをがっちり固定しなきゃいけない→握るように持つようになってしまった。

というのが覚えている限りの流れです。

元々はそれなりにちゃんと持っていたはずなんですけどね。

手が疲れるとき、一番厄介なのは記述問題です。

苦手な算数ではなく、どちらかというと国語や理社の長文の記述問題の方でした。

数式を書くことよりも、長い文章を書く方が厄介なんです。

これは個人差もあると思うのですが、私の場合には数式はスムーズに出てこないんで考えながら書くから手が疲れないんですね。

逆に記述問題の方は、頭の中で文章を作る→書き出すという作業がほぼノータイム、むしろ手が追い付かないという状態だったので、必然と手が疲れてしまっていました。

もし算数の方がスラスラタイプだったとしたら、数字を書く方が疲れてしまっていたかもしれません。

だから鉛筆の持ち方が中受に与える影響は、苦手科目よりも得意科目(その子の得意分野)へのブレーキになってしまうのでは?と思っていました

もちろん苦手教科のノートが汚くなって更に嫌いになるルートって言うのも考えられるんですけども・・・w

つまりどのみちあんまりいい事じゃない

出来れば持ち方は楽な方法にしておいた方がいいんじゃないのかな~って思っています。

鉛筆の持ち方はどのように学力に関係してくるのか

学力と鉛筆の持ち方の関係についてはこちらの本がいいんじゃないかと思います。

【中古】東大合格生のノートはどうして美しいのか? / 太田あや

感想(0件)


といっても私もちら見した程度なのであまり詳しいことは言えませんが(スイマセン)。

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まぁ簡単に言うと、東大生の8割は正しい鉛筆の持ち方をしていましたよ、というデータが示されているってことです。

凡人としてはそれで十分。

どうして正しい鉛筆の持ち方をしていると頭が良くなるのか?

ペンの持ち方さえ正しければ東大入れるんなら苦労はしないよね、絶対にからくりがあるはず。

李白は酒飲みだが、酒飲みの全てが李白ではない。

先ほど正しい鉛筆の持ち方をしていなかった受験生の時、手が疲れていたというのは一つ理由として考えられると思います。

ただそれだけが理由ではない様な気がして自分なりに考えてみたり、調べてみました。

●手が疲れない→集中力が続く→勉強がはかどる 説

●綺麗な字が書ける→ケアレスミスが減る 説

●綺麗な字が書ける→モチベーション維持 説

●書いている前後が良く見える→書いている内容を俯瞰で見ることができる 説

このあたりかな~・・・?

要は勉強がはかどるベースに文字という存在がどういう風に影響しているのか?って言うところなんでしょね。

まぁどんな勉強だって今の時点では書くというのが大事だろうし・・・PCやタブレットでできる時代になったら関係なくなるのかもしれないけれど、今のところは関係ありって考えておいた方が無難かな。

綺麗な字は鉛筆の持ち方次第らしいけど

ぶっちゃけますと、

正しい鉛筆の持ち方をする=綺麗な字=学力アップ

という式は正確には成り立たないと考えています。

今更感半端ないですがw

ですから先ほど挙げた

●手が疲れない→集中力が続く→勉強がはかどる 説

●綺麗な字が書ける→ケアレスミスが減る 説

●綺麗な字が書ける→モチベーション維持 説

●書いている前後が良く見える→書いている内容を俯瞰で見ることができる 説

この三つ、実は明確に「成績向上」とイコールの存在ではないと思うんですね。

そもそも論、悪筆な偉人はたくさんいます

エジソン、アインシュタイン、ベートーベン・・・は『エリーゼのために』は本当は『テレーゼのために』だったのが字が汚くて読めなかったとか言う説がありますし(しかもテレーゼさんには振られているし)。

日本人だと誰だろう、芥川龍之介や理系だと湯川秀樹の日記もなかなかに難読だと思っています・・・。

そして私の担当教官(京大が自宅から近かったという理由で進学出来ちゃうレベル)も、論文に赤ペン入れてもらうたびになんて書いてあるのか分からないで四苦八苦。

先生、どう直したのか読めません・・・スイマセン出来の悪い弟子でorz

ってな感じで、正直な話、綺麗な字と頭の良さは突き詰めると関係ない、むしろ悪筆な方が飛び抜けた才能がある気がするんですよね。

しかしながら、自分のの回りにいる頭いい人は字が綺麗な場合も多い

どういうからくりなんだこれは。

日本人の刷り込み的な部分かなぁと思うのですが、小学校時代?それ以前から?『綺麗な字を書くことが良いこと』という認識を植え付けられている。

しっかりと勉強をする良い子・きちんと整理整頓ができる良い子・ノートを綺麗に取ることができる良い子は、確かに勉強はできる

いわゆる『ある程度のレベル』では。

ところが本当の天才たちは頭に手が追い付いてないから字が汚い、ペンを正しく持っていようが持ってなかろうが、体が追い付いて行ってない。あとから自分が読めれば良し。

マグネットコーティングされていないガンダムに乗ってるアムロみたいな???

そういう天才児になってくれるなら、私は両手放してやりたいことをやらせるのですが、残念なことにそうなる確率は万に一つだろうということで、期待はしていません。

じゃあどうするの鉛筆の持ち方。

凡人はどう足掻けばよいのか?

結局のところ元に戻って、正しい持ち方をするしかないと思うのです。

それで勉強の土台となる文字に関しての憂いを取っ払っておく方が良いだろうという程度の問題。

大事だけど、それが全てじゃないって感じ。

しかしながら一つだけ訂正するなら、綺麗な字・上手な字を書くために正しい持ち方を教えるのじゃないと私は考えています。

しいて言うなら丁寧な字・読める字を書けるように正しい持ち方を教える方が、学力に対しては効果があるんじゃないのかな?と考えているところであります。

最後に

大学院進学ぐらいから、授業がほとんどないのでノートは取らなくなったし、手で文字を書く習慣が無くなってから、なお一層字が汚くなりました。

ところが娘が生まれて育児日記を付けなければやっていけない状態になったとき、久々にペンを持つ習慣が出来て以来、字を書くのは慣れと訓練だなぁとしみじみと感じた次第です。

思えば小学校ぐらいから鉛筆やシャーペンを持たない日は無いような生活をしていたんですから、自然と字が綺麗になってくれてもいいと思うんですけどね?

全くそういうところは上達せずに大学受験まで行きましたね、なんでやろか。

かと言って天才的というわけでもなく。なんでやろかッ

持ち方・字の綺麗さ・勉強って、小さいころから言われているだけあってほぼイコールだと思っていたんですが、実は関係はあるけれど直結しているわけじゃないのかなって。

だったら文字を書く上で、何を意識したら成績が上がるの?ってやっぱりそこなんですよねぇ。

鉛筆の持ち方と綺麗な字と学力の3つの要素は本当に全て関係があるのか?子供の字の練習の最中にはなんて声をかけてあげれば成績向上につながるのか?綺麗な字と勉強の関係について、日ごろ覚えていた違和感を深堀して考えてみました。
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